【MHA】ハッピー・ヴィランズ・クリスマス!

 十二月の中旬のことだ。
 ホークスは超常解放戦線の本拠地である郡牙山荘の談話室に招かれていた。招かれた、といえば聞こえはいいが要はスパイの可能性のある(実際正しい)ホークスを野放しにしておく訳にはいかなかったというのが実情だろう。まだ組織が出来上がってから日も浅く内部は綻びだらけ。突けばどこからだって情報が漏れうる。
 それならばいっそのこと、監視が途切れないように一緒に行動させようという目論みだった。
 いわば敵の腹の中。そんな場所でホークスはぼんやりと天井を見つめていた。

(暇や……)

 天井を見上げたまま、感覚を研ぎ澄ませて連合の様子をうかがう。どうやら彼らも暇を持て余しているようで、思い思いの方法でくつろいでいる真っ最中だった。

 連合の目に見えない拘束は、絶大な効果を発揮していた。組織の大枠を掴むためには鋼翼を飛ばすのが一番手っ取り早いが、まさかそんな不審な動きを見せるわけにもいかない。
 とはいえ救いもあった。この様子なら今すぐに決起することはないだろう。悪の枢軸が動かないというのなら、それはヒーロー側にとっても悪くない話だ。
 唯一の気掛かりは一体何を待っているのかというところだけど、それだけは誰に聞いてもはぐらかされた。

 緩んだ意識がハッキリ覚醒したのはソファーに横になって携帯をいじっていたトガヒミコが高い悲鳴をあげたからだった。

「どうかしたのか? トガちゃん」
「キャー! 仁くん! みてください!」と、彼女はソファーから飛び降りてホップ・ステップでトゥワイスに近づいてスマホの画面を突きつけた。

「出久くんのグッズが出るんです!」

 顔面を覆うマスクをしていても感情がわかりやすい男は大きく首をかしげた。

「……出久って……あー! あの、雄英のアイツ!」
「そうです! わたしの好きな人です!」

 声高々に宣言する彼女の顔に曇りはなく、ワントーン高くなった声が耳に痛い。

「どれどれ、俺にも見せてよ」

 果敢にも自ら首を突っ込んだコンプレスを見てホークスは渋い顔を浮かべた。恋バナが苦手という訳ではないけれど、さすがに女子高生と同じテンションで盛り上がれる自信はない。

 下手に話を振られてはたまったものではない。と、ホークスは盛り上がる彼らから少しだけ距離をとってSNSを開いた。

 〝雄英 グッズ〟と検索すればすぐに詳しい情報が見つかった。内容はコンビニで特定の商品をいくつか買うと特典としてクリアファイルがもらえるというもの。トガヒミコの言うとおり、ラインナップには緑谷出久の姿もあった。ぎこちないカットではあるが、かろうじて笑顔を浮かべている。
 その他には爆轟、常闇、轟、剣道、八百万、それから七人の集合写真の全八種だ。雄英の情報をほとんど追っていないホークスでも見覚えのある人選だった。
 そのままスクロールしていけば阿鼻叫喚のリプ欄が待っていた。しかも発売日は今日ときた。今ごろファンがコンビニに押しかけていることだろう。

「でもさ、雄英ってことはまだ高校生だよね? プロでもないのにコラボなんてするもんなの?」
「……なんで皆して俺をみるんスか」
「だってヒーローのことなんて分かんないし」

 いうて俺ら一般人だからね。とコンプレスは付け足すが、正しくは凶悪犯罪者だ。そんな気持ちを表に出さぬようグッと奥に押し込めてホークスはへらりと笑みを浮かべる。

「俺、雄英卒じゃないんですけどねー」
「そうは言っても名門なんでしょ?」
「ハハハ、どーなんでしょ。少なくとも俺の学校ではそういうのはなかったですね」

 個人情報に繋がりそうな質問はのらりくらりとかわしつつ、「でも」と話を続ける。

「最近は結構ありますよ。コラボ。特に雄英なんて、将来名前が売れること確定みたいなところがあるんで。企業もあらかじめ唾をつけときたいんでしょうね」
「へぇ、すごい時代になったもんだ。まるで芸能人だね」
「そうなんですよ。もちろん世間的には賛否両論で、学生は学生らしく! とか若いうちからチヤホヤされるとろくなことにならない! とか色々言われています」

 だから今日も事前の告知なしの発表だったのだろう。既成事実をつくってあとは有耶無耶にする企業の常套手段だ。

「そんなことどうでもいいです。私、買いに行くので」
 いつの間にかココア色のダッフルコートで全身を彩ったトガヒミコはなぜか出口ではなくホークスの目の前へ。
「だからホークスさん。連れてってください」
「なんで俺が」
「だって麓まで遠いんですもん。売り切れちゃったらどうするんですか!」
「……だったら俺が代わりに買ってきてもいいですか?」
「なんでですか? 抱えて飛んでくれればいいじゃないですか」

 よくやってますよね。テレビで見ました。なんて彼女はふくれ面をするが、あくまでそれは救助活動のためだ。改めて目の前の少女をまじまじと観察して、その絵を想像してみる――ホークスの頭に浮かんだのは〝犯罪〟の二文字だった。

「抱えて飛ぶのはちょっと……嫌ですね。っていうかすごく嫌です。目立つんで。それに女子高生を抱えて飛ぶとか、そんなん事件以外の何者でもなか」
「イヤです。私も行きます。大体、そんなの今更じゃないですか? ヒーローを裏切ってここにいるんですよね?」
「ヒーローとかヴィラン以前に、人として超えちゃいけないラインがあると思うんですよ。ていうか指名手配犯がのこのことコンビニなんて行っていいんですか?」
「何が悪いんです? 私は好きなことをやるだけです」

 トガヒミコの瞳には殺意すら浮かんでいて、力ずくでも従わせるという強い意志を感じた。だからといってヴィランと仲良く空中散歩しているところを見られるわけにはいかない。
 ポケットに突っ込んだ手が何かを握ったのを見て、ホークスはいつでも反撃できるように大きな翼を広げた。臨戦態勢だ。二人の瞳が鋭く光り、肌を突き刺すような剣呑な雰囲気が立ちこめる。

「はいはーい、二人とも物騒なものはしまって」
「……まだ取り出してないです」
 不服そうな顔はしているものの仲裁が入ったことで一触即発の空気はどこかへ霧散した。
「そもそも本気じゃなかったです」
「わかったわかった。とにかくね、おじさん的にはどちらの言い分もわかる訳よ。でも二人とも譲る気はないんでしょ? だからこういうのはどうよ」

 コンプレスは手のひらを上に向けて差し出した。小指の先から折りたたむようにして手を握りくるりと手首を返す。再び手を開けば、突如としてビー玉が出現していてた。コンプレスが指を弾けばビー玉は音を立てて割れて中から深紅の薔薇が飛び出した。
 まるで魔法だ。奇術師のような風貌は伊達ではない。

「俺の個性でトガちゃんを圧縮して運んでもらえばいい。そうすればホークスくんはわいせつ罪に問われないで済むし、トガちゃんも最速で街までいける」

 そういうことならば拒否する理由はない。麓まで下りたあとも遠巻きに監視していれば騒ぎにもならないだろう。ここにいたところで連合の信用を得るまでは大きな情報も得られそうにないし、そもそもこの部屋には鋼翼を放ってある。

「だったら早くやってください」
 他人の個性で閉じ込められることはさして怖くもないらしく、少女は簡単にビー玉の中に納まった。
「それじゃ、うちのお嬢さんをよろしくね」
「はーい」

 ビー玉を受け取り、親指と人差し指でつまんで軽く力をかけてみたが、案外しっかりとしていて割れることはなかった。ホークスはそれをまじまじと見つめる。

(外部の力で割れるのか、それとも使用者が許可しないとあかないのか、中から破れるのか……それから対象の大きさの制限と効果範囲とか……いろいろ調べたいけど、さすがにあからさまやね)
 あまり疑われても面倒なので諦めてビー玉を上着のポケットにしまいこんだ。質量は保存されても良さそうなものなのに、人が中に入っているような重さを感じないのが不思議だ。

「何か欲しいもんとかあります? ついでに買ってきますよ」
「お。さすが気が利くねぇ」
 談話室の扉に手をかけ、そういえば、と思い出して荼毘のことをみた。
 そういえば一言も確認をとってない。腐っても直属の上司だ。荼毘は視線に気がついたのか、面倒臭そうにソファーから上体を起こした。

「……あ? なんだよ。さっさと行けばいいだろ」
「いや……止めるかと思ったんで。意外だっただけデス」

 てっきり露出は避けているのかと。と付け足せば荼毘は吐き捨てるように笑った。言葉は濁したけれど俺が裏切るとは思わないの? と暗に聞いているようなものだった。

「俺の知ったことじゃねぇ。むしろ、うるさいのが減ってメリットだらけだ。まァ、それに、おまえがいるならそんなことも起きないだろ? 頼んだぜ、〝ヒーロー〟」
「荼毘ってさぁ……友達いなそー……」
「お互い様だろ」

 煽られずともここでトガヒミコを捕らえるのが得策じゃないことくらい分かっていた。下手に動いて疑いが深くなれば、全ての準備が水泡に帰すことになる。
 そんなわけで彼女に万が一がないように警戒するのはホークスの仕事に他ならないのだった。
 たとえそれがどれほど不本意であろうとも。

 人通りの少ない路地に降り立って、上着からビー玉を取り出せば示し合わせたようにビー玉が弾けた。おそらくGPSか何かで位置は筒抜けなのだろう。
 トガヒミコは辺りをキョロキョロと見回してホークスの金髪を見つけるなり鋭い歯をのぞかせて満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます、ホークスさん」

 お礼を言い終わるなり、さっさと路地裏から出て行こうとする彼女の襟を掴んで強引に引き止めればトガヒミコはキャァ!と可愛らしい悲鳴をあげた。 
 路地が狭いせいか声がやたらと反響して聞こえて、通報されたらどうするんだと被害者じみた気持ちを抱く。

「何するんですか!」
「まさかその格好のままいくつもりなの?」

 個性あるでしょ。と詰め寄れば彼女は子供のように唇を尖らせて顔をそむける。
 ホークスとしては、トガヒミコが勝手にポカして警察に見つかって、あまつさえ自分の関与を疑われてはたまったものではないから、いわば、当然のリスクヘッジだ。
 そんな気持ちを知らない少女は親猫に首を噛まれた子猫のように持ち上げられながらキャーキャーとわめき続けている。

「面倒です……どーせバレませんよ」
「君が捕まって怒られるのは俺なんですケド」
「そんなこと知らないです」
「いいからさっさと変身してよ」
「イヤです」
「早く」
「……イヤです……」
「そーいうのいーから」
「……」

 トガヒミコは急に黙り込み、不審に思ったホークスが顔を覗き込む。少女の顔は耳まで真っ赤に染まって、への字に曲げられた唇が小さく震えていた。

「……えっち……」
「はぁ!? なっ……!」

 動揺したのは一瞬のことだ。すぐに頭が回転してこの場をどう切り抜けるべきかと凄まじい速度で頭が回転した。
 とりあえず手は離した。接触は危険。
 そして冷静に何が起こったのかを考える。
 経緯を無視して、先ほどの状況だけを描写するなら成人男性が女子高校生を無理やり引っ掴んで着替えを強要したことになるのだろう。そう考えると叫ばれてないだけまだマシかもしれない。
 
「……アー……ソノ……」

 現実が冷静に見えてきたところで、ようやく公安のハラスメント講習の記憶が蘇った。
 ――謝ったらいけないんだっけ? じゃあどうやってこの場を収めれば? そんなつもりはなかった? なんか、エンデヴァーさんが昔、言ってたような気がする。ということは悪手だ。
 などと憧れのヒーローに対してとんでもないことを思いながら(元々、コミュニケーションは下手くそだなと思ってるけど)どうにか口を開く。とにかくこの空気をどうにかしたくてたまらなかった。

「その……君のことはそういう目で見てないから……そもそも、俺、年下無理だし」
「……ってことは年上が好きなんですか?」

 なぜか好みを告白する羽目になり、その上思わぬ所に食いつかれてたじろぐ。さすが女子高校生、三度の飯よりもフラペチーノよりも恋バナ。
 ともあれ話題が変わるならなんだっていいので藁にも縋る思いでホークスは話を続ける。

「……まぁ、好きっていうか……俺は過労死寸前まで働いちゃうから……止めてくれる人の方がバランスがいいかな。できれば力尽くで止めてくれる人だと嬉しい」

 あいにく恋愛とは無縁の生活だが、一番近い感情を抱いているのは現ナンバーワンヒーローだろう。こういうのは具体的な方が盛り上がると相場が決まっている。推しと言った方が近いかもしれないが、おそらく似たようなものだとホークスは判断した。

「じゃあ甘えられるよりも甘えたい派なんですね」
「うん? あー、そう、なのかな? まー普段から気張ってるから……?」
「ちなみにチューしやすいのは十二センチ差らしいですよ」
「……へー……ご丁寧に……ドウモ」

 一瞬、真面目に身長差を考えてしまった自分が情けない。

「……今度、菓子折り持ってこ……」
「両親に挨拶!」
「いや、謝罪ね」
「?」

 何はともあれ、ちょっとした恋バナで乙女の心はたいそう潤ったようで、失言を水に流すどころか、大した説得もしていないのに個性を使う気にもなったらしい。
 首を傾げた彼女

「着替え、覗いたら殺します」
「あっ……そう……どーも……? 」

 唐突な話の運びに若干置いていかれながらもホークスはなんとか頷く。女子高校生の情緒なんて考えるだけ無駄だ。ましてや相手はヴィランだ。
 
 

 背後から衣服がこすれる音が聞こえる。鋼翼が耳以上に音を拾う以上、完全に意識の外にたたき出すのは難しいが、どうにか意識しないようにした。頭の中をのぞかれてセクハラだと訴えられることはないだろうけれど、普通に気まずいのだ。それと同時に、外で生着替えを要求したわけだから、先ほどの言い分ももっともだと反省した。
 しばらくすれば背後から音が止んで、代わりに見知らぬ女性の声がした。声から判断するに年上だろう。鋼翼の反応からして誰かが裏路地に足を踏み入れたわけではない――なんとなく、見た目だけ変わるイメージでいたから声帯まで変わるのかと驚いた。
「そういえば、ホークスさんはヘンソーしないんですか? 私よりもよっぽど目立つと思いますよ」
 純粋な疑問なのか、それとも自分だけ理不尽を飲み込むことに今更ながらに苛立ちが募ったのかはわからない。ところでもう目は開けてもいいのだろうか。普通に考えれば声が違うんだから変身は終わっているはずだけど、気まずいのだけは避けたい。
「今日は特に何も持ってきてないし……近くまでは一緒に行くから、騒ぎにならない場所で待ってるよ」
「ケチ」
「ケチて……。俺なんかの生着替え見たってつまらないでしょ?」
「無防備になれば襲える隙が増えます」
「……恋愛対象以前に獲物として見られてるのね。で、そろそろ目開けていい?」
「遅すぎて置いてっちゃおうかと思いました」
 本当にこの世代の子って掴み所がないというか。まるで別の生物と会話しているかのようだ。それに声色と内容が一致しないせいで頭が混乱する。早々に頭痛を訴え始めた頭を抱えて目を開く。
 振り向けばどこにでもいそうなOL姿の女性が立っていた。かっちりとしたスーツというよりは今時のオフィスカジュアルで、淡いラベンダー色のトップスに黒いズボンをあわせている。足元は高いヒール。声から想像したとおりホークスよりも年上に見えた。
「どうです? 好み? 包容力ありそうな人にしました」
「中身を知ってるから全然」
「残念です」
 路地裏から出て行く前に鋼翼を一枚差し出すと彼女は小さく首を傾げた。
「なんですか。これ。鳥の求愛?」
「まぁ、そんなとこ。居場所も分かるし、音も拾えるから一枚持っててよ。いざとなったら文字通り飛んでいくから」
 トガヒミコは好戦的な方ではないとはいえ凶悪犯罪者に代わりはない。いくらなんでも野放しにはできない。
 彼女はしげしげと赤い羽を見つめたかと思えば厚手なコートのポケットからナイフを取り出して華麗に切り裂いた。
「監視なんてされたくないです」
「あっそー」
 落胆は態度に出さず軽く返した。
「じゃあ近くにいるから終わったら適当に合図して。人混みに紛れたら見分ける自信ないからさ」
 
 目当てのコンビニから少し離れた場所の電柱にホークスは軽々と降り立った。背中の翼はわずかに枚数を減じているが、相当なファンでなければ気付かれないだろう。
 本人が鋼翼を持たないというのなら、街のいたるところにあらかじめ放っておけばいいのだ。元々、騒がしい事件現場でも要救助者の息遣いを関知するほどの精度があるのだ。町中で一人の足音を追いかけるくらい訳ない話だ。
「え!? なんかホークスいるんだけど!」
 コツコツとコンクリートに響く音をたどりながらヒラヒラと手を振り返す。
不意にその足音が止まった。
「あ」
 撒かれた。立ち止まったと思った足音は次の一歩には別のものにすり替わっていた。おそらく、さらに別の人間に成り代わったのだろう。それも交通量の多い場所なせいで複数の足音が入り交じっていてどれが本人のものだか分からない。
「……やっぱトガヒミコは目で追わんと分からんか……」
 何にせよ、いい知見を得た。どのみち町には鋼翼を放ってあるから騒ぎがあればいつでも駆けつけられる。一応、索敵範囲をさらに広げるために何枚か鋼翼を放って地上に降り立つ。
 いい加減、ファンが集まりすぎて通行の邪魔になりそうだった。
「はーい、どーも」
「ウソ!? 降りてくるとか聞いてないんだけど!」
「そげん嫌な顔せんでも」
 求められるサインに応じている間にあっという間に時間は過ぎた。それなのにも関わらずトガヒミコからの接触はなかった。それがなんだか奇妙に思えて心がざわついたが、町に放った鋼翼は一切の騒ぎを感知していなかった。何の変哲もない日常だ。
 それと同時にろくな方法を決めてなかったな、と思い至った。今、本人がどこにいるのか定かではないにしろ、さすがにこの人混みの中だと声も掛けづらいだろう。
「ホークス! 私にもサインください」
「はいはーい。ちょっと待っててね」
 この集会を畳むのも骨が折れそうだ。と思いながらひたすらペンを走らせる。囲みは当初の倍くらいにまで膨れ上がっていた。
「わたしにもサインください。ホークスさん」
 目の前にいたのは中学生くらいの女の子。だが、その容姿にそぐわない呼び方のおかげですぐにトガヒミコであることがわかった。
「いいよ。お名前は?」確認までに聞いてみれば「トガです」と小さな声で返事があった。それ以外に言葉はなく、どことなく表情も暗くて落ち込んでいるような気がした。サインを走らせながら、その両手に視線を向けるが特に戦利品もなさそうだ。
「……そろそろ切り上げるから最初の場所で落ち合おう」
 彼女にだけ聞こえる声量で告げれば、小さな頷きが返ってきた。

 まるで波のように押し寄せるファンの輪からどうにか抜け出し、路地裏に降り立った時には彼女はもう元の姿に戻っていた。汚れるのも気にせず膝を抱えて地べたに座り込む姿からは今朝の元気がすっかり失われ、コートで包まれた肩が小刻みに震えていた。
「出久くん……人気なんですね……」
 顔を上げないまま呟くように落とされた声は悲痛の色を隠しきれていない。ホークスは意図せず歩み寄ろうとした足を止めて軽く息を吐いた。
「彼の個性――超パワーだっけ? 第二のオールマイト……って柄じゃないか。まー、だけど昔から結構派手にやってたみたいだし」
 少し調べれば、彼が雄英に入る前に巻き込まれた事件の情報がずらりと出てきた。プロヒーローですら動けない状況で、友人を救うために居ても立っても居られずに飛び出したのだと。生粋のヒーロー基質だ。
「それにこういうグッズ系は転売屋がいるからね」
 そういう界隈に馴染みがないのかトガヒミコはその言葉をおうむ返しにした。
「そ。学生時代のグッズなんて売れるかも分かんないから企業側も個数は絞ってくるし、のちのちプレミアがつきやすいんだよ。いわば最古参の証だからさ」
「……じゃあ好きでもないのに買ってる人がいるんですか? ヒドイです……ヒーローならそういう人を捕まえてくださいよ」
 勘違いされがちだがヒーローは正義の味方とイコールではない。あくまで法律を犯す連中を捕らえ、人を助けるのが仕事。だから彼女の発言ははっきり言ってお門違いだ。とはいえその気持ちを一蹴するほどホークスは冷徹ではない。
「とはいってもさー、これだけ人気があれば再販する可能性もあると思うよ。特に今回はNo. 1の末っ子がいるし、話題性はバッチリでしょ」
 彼女の隣に座り込み、手持ち無沙汰を紛らわせるように赤い羽根をひらりと動かした。
「……放っておいてください。こんなの慣れっこなんで。そんな子供騙しも聞きたくないです」
 震える声で吐き捨て、彼女はセーターの袖口で涙を拭った。スカートについた埃を手で叩いて立ち上がる。
「先に帰っててください。もう少し探します」
「あっそ。じゃあ、お言葉に甘えて」
 縦横無尽に動かしていた鋼翼を指で挟んだ。
 去っていく彼女の背中はいつも以上に小さく寂しそうに見えた。ホークスは赤い羽根をしげしげと見つめ、大きな翼を羽ばたかせた。飛行用に最適化された体は風に連れられるように、宙を舞い、軽々とトガヒミコの前に。
「あげる。青い羽じゃないけど、ご利益あるよ」
 いらないです、と言いかけた彼女に一枚の羽根を無理やり押し付けてホークスは飛び立った。今度は引き裂かれることもなく、しばらくすれば鋼翼が街中に流れるクリスマスソングの音を拾った。

「おっ、ホークス。そこに座っとるとか珍しか。今日も忙しいん?」
 久しぶりに事務所の席で腰を落ち着けていればそんなことを言われた。たしかに、ここのところ出張や潜入で忙しくてあまり事務所に寄れていなかった。
「今日はそこまで忙しくないですよ」
 今日の用事といえば、昼に福岡県警と定例報告があるのと、夕方からスポンサーと打ち合わせして、そのまま会食。明日は朝イチで関東の方で仕事があるから、終わり次第飛んでいって、あとは空いた時間パトロールと事務仕事を片付けるだけだ。
 そう告げればサイドキックたちは顔を引き攣らせた。
「うん、過労気味やね。それで次の休みは?」
「なーに馬鹿なこと言ってるんですか。年末年始なんて休めるわけないでしょ」
 ただでさえ忙しい仕事だが年末年始にかけて輪にかけて忙しくなる。悠長に休んでいる時間などない。それに加えて今年は連合のゴタゴタまである。
「あ、でも皆さんは休みたかったら休んでもいいですよ。正直なとこ俺一人いれば十分なんで」
「また言っとるよ……キャラ付けかと思ったら素なんだもんなぁ……」
「文句は俺以上に成果出してからにしてくださ〜い。それで事務仕事は午前中に終わらせたいんですけど、結構溜まってます?」
「仕事はそれほど溜まってないね。けど、荷物がなぁ」
「荷物?」と、聞き直せばサイドキックは苦い顔をした。
「ほら。時期が時期だから」
「あー……クリスマス……」
 そういえばどこかでクリスマスソングを聞いたな。とぼんやり思い返した。あまりにも馴染みのない文化で失念していた。
「毎年増えてるけど、今年の増え方はちょっと頭を抱えるレベル。とりあえず仮眠室にまとめてあるから確認だけよろしく。食べ物系はちゃんと断っておいたから」
 サイドキックたちが心なしか疲れているように見えるのはそれが原因なのだろう。ヒーロー事務所への差し入れは、当然食べ物系は受け取れないし、危険物があるかもしれないからそれのチェックも必要だし、一般人が想像するよりも手間がかかる作業なのだ。
「……今度、他の事務所にどーしてるのか聞いてきますね」
「マジでよろしく……なるべく支持率高そうな人がいいな」
「エンデヴァーさん以外。了解です」
「……まぁ……つまりそういうことなんだけどさぁ……」
 うちの所長、恐ろしか……。とますます引き攣る顔を見てホークスはけらけらと笑う。
「まー、そもそもエンデヴァー事務所はイベントごとの差し入れは受け取ってないですもんね。ジーニストさんとかがいいかな。支持層もダダ被りだし」
「その辺はホークスに任せるよ……本当にいつかエンデヴァーファンに刺されんようにね。あ、あと別件だけどアパレルのサンプルが山ほど届いとったよ」
「ああ。そっちはなるはやでって言われてたんでそっちからやります」
 段ボール箱の中には何枚かの白とグレーのパーカーがきちんと折りたたまれて詰められていた。どのパーカーもデザインは変わらず、胸元に刺繍された赤い羽根の色味が若干違っている。オレンジに近い赤から深紅に近い赤まで実に7パターン。それが白とグレーの二種類ずつあるので計十四枚になる。
「こうしてみるとそこそこ色味が違うんやね。糸見本は見せてもらったけど分からんもんやね」
「ですねー。背景色によってもイメージ変わりますし、こうやって刺繍されるとまたイメージ変わりますよね。無理言って全パターン縫ってもらってよかったです」
「で、どれにするん?」
 ホークスは背中から羽根を一枚外してパーカーの上に落とした。
「せっかくなんで鋼翼と色味を合わせようと思って」
「いつも思うけど、ホークスって結構マメよね」
「お金出してもらうんですから、妥協はできないでしょ。あ、サンプルはいただけるみたいなんでよかったら持って帰ってください。余った分は適当にばら撒くんで置いといてもらって大丈夫です」
 そのあとは軽く事務作業を片付けてクリスマスプレゼントを開封した。といっても凄い量で全てに目を通すのは当分先になりそうだった。一週間後には年賀状が山のように届くだろうと思うと軽く眩暈がする。けれど、できる限りファンの想いには応えたい。
 会食が終わり、その足で東京まで。ホテルに着いた頃にはすでに日が変わっていた。
 その日の夜は随分と懐かしい夢をみた。子供の頃の夢だった。とたん板で補修しても隙間風がビュービューと吹き込むようなボロい家屋で、珍しく居間には父親の姿もあった。
 雑音のような音がテレビから絶えず流れていた。顔を上げればそこにはエンデヴァーの姿があった。傷がないその姿がもはや懐かしくて、思わずその名を呼んでしまった。
 その瞬間、衝撃が頭を揺らした。すぐに父の罵倒が部屋に響く。ああ、殴られたのか。とすぐに理解したのは数え切れないほど経験してきたからだ。
 ガンガンと響くように痛む頭を抱えて、母を見上げるが、母は吸い込まれるようにテレビに目を向けたまま微動だにしなかった。
 罵倒は鳴り止まず、頭の中がぐちゃぐちゃに塗りつぶされていく。やがてポツリと母がつぶやいた。
「あかんわ……音が聞こえん。アンタが余計なことするからや。しばらく外で遊んどき」
 有無を言わさず布切れのようなボロボロの洋服一枚で家から追い出され、空を見上げればちらちらと雪が舞っていた。土の上には数ミリほどの白い層ができていて踏み締めるたびにぎゅっと奇妙な感覚があった。
 その感覚が面白くて、夢中になって足を動かしていると突然知らない場所に出た。そこはだだっ広い空間で、見渡す限り真っ白の雪原なのに、なぜだかここが公園であるとわかった。
 気がつけば目の前には同じくらいの背丈の子供。
「なぁ、これ、サンタさんからもらってん」
 聞いてもいないのに子供は自慢げに胸を張る。それはオールマイトをモチーフにした子供用の雨合羽だった。肩や頭には雪が積もっている。
「サンタって人がおるん?」
「おるよ。おまえはそれもらったん?」と言われて、ホークスは自分の腕の中をみた。そこにあるのはエンデヴァーの人形で、どこへでも持ち歩いていたからか、彼の真新しい合羽に比べればかなり汚れてみえた。そもそもこれは母に買ってもらったものだ。
 静かに首を振って「何ももらってない」と一言かえせば子供は一瞬驚いた顔をした後に途端に大人びた顔を見せた。
「へぇ……そうなんや……」
「……?」
 まるで今この場で天啓を受け取ったかのような、そんな表情だった。
「じゃあおまえは悪い子や! くらえ!」
 小さなヒーローは小さな手に砂を一杯に掴んでそれを投げつけた。先ほどまでは柔らかな雪が積もっていたはずなのに、砂の粒は鋭利なナイフのようで、反射的に翼で身体を包んだが小さな粒子が目に入って突き刺すような痛みが走った。
「ヴィランめ! 俺が倒しちゃる!」
 その言葉が何よりも深く胸の奥に突き刺さった。あまりの衝撃で息ができなくなって足から力が抜けていく。
「……ちが……俺は……あんなやつと、一緒じゃ、なか」
 じわじわと痛みが広がって何かが体の内側から溢れ出すような気がして、何かを堰き止めるように胸を掻きむしれば妙に粘度の高い血が手のひらにこびりつく。
 またもや場面が変わり、空には脳無。動かなければいけないことはわかっているのに、子供の体ではろくに個性も使えない。次の瞬間、まるで隕石のように一切の受け身もなく空から落ちてきたのはエンデヴァーで、その大きな体はみじろぎひとつせず、段々と周囲の空気が冷たくなって――ドクドクと激しく心臓が脈打つ。
「……俺の、せい……」
 次の瞬間、この場にそぐわない着信音が聞こえてホークスは飛び起きた。未だにドクドクと激しく脈打つ心臓に手を当てる。身体が爆発しそうだ。
「ハァー……なんて夢や……」
 嫌な思い出の詰め合わせだ。けれども冷静になってみれば現実はもっと過酷だった。
 あの日、公園で出会った少年は記憶によればもっとガタイがよくて、砂掛けではなく直接殴られたような気がする。慌てて家に逃げ帰り、その話を母に話したがあの人は一言の心配もなく、ただ疲れたようにため息をついただけだった。極めつけには父親の逆鱗に触れて酷い目にあったのだ。
 仕方がないことだ。彼のいうサンタさんとやらが親の優しさの具現化だなんて知らなかったのだから。
「エンデヴァーさんのは……卑怯やけど……」
 ハッとして鳴り続ける携帯に手を伸ばした。
「おっ、出た出た。ごめんね、ホークスくん。寝てた?」
 発信者の名前も確認しなかったから電話から聞こえてきた声に驚いて思わず目が丸くなった。ミスター・コンプレス。電話番号を教えた覚えはないし、彼から連絡する用事もパッと思い浮かばない。
「むしろ助かりました。夢見が最悪だったんで。何かありました?」
「実はさ、ホークスくんにちょーっとだけ聞きたいことがあってさ」
「はい」
 音声をスピーカーに変えて、汗で肌に張り付く寝巻きを脱いだ。できればこの相談も早く切り上げてシャワーを浴びたい。
「今時の女子高校生にプレゼントを渡すとしたら何がいいかな」
 前言撤回。この人のためにも職業不詳のおじさんに粘着される女子高校生のためにもじっくりと説明したほうがいいだろう。一周回って血の気が引いて、ほてった身体も相殺された。
「ハッキリ言いますね。向こうは優しくしてくれるかもしれませんけれど、それは仕事だからであってあなたに気があるわけじゃないんですよ。むしろがっつかれてキモいなくらいの気持ちだと思います」
「いつも思うけど、ホークスくんって結構辛辣だよねぇ」
 でも、そうじゃなくてさ。と彼は続ける。
「トガちゃんにあげたいんだよね。ほら、もうすぐクリスマスじゃん?」
 ついさっきクリスマスにまつわる嫌な思い出を掘り返してしまった身としてはあまり心躍る話題ではない。
「なんでもトガちゃんクリスマスプレゼント貰ったことないんだって」
「奇遇デスネー。俺もです」
 コンプレスが黙り込んだのを見て、すかさずホークスが会話の主導権を握る。勿体ぶったところで返答は決まりきっている。
「結論から言います。俺も大した答えは持ってないですよ。今時の女子高生が考えることなんて分かりません」
「そういわずに、頼むよ。俺たちだけじゃ限界なんだよ」
「他には誰がいるんです?」
「トゥワイスとスピナー。ね? 無理っぽいでしょ? だから藁にもすがる思いで電話したってわけよ」
 冗談めかしているが声は本気だった。どうやらコンプレスは相当彼女の様子を気にかけているらしい。個人主義も目立つ(主に荼毘のこと)連合の中では仲間意識が強い方なのだろう。
 喋っているうちに悪夢の余韻もすっかり消えて頭が冴え渡っていた。仲間意識が強いのなら、そこは付け入る隙になりうる。
「んー、相手にそれとなく欲しいものを聞くのが一番丸いと思いますけどね」
「トガちゃんのほしがってるものかぁ……この間のクリアファイルとか?」
 空気がズンと重くなるような気がした。あの日の落ち込みようは今でもハッキリ思い出せる。普段、おしゃべりで元気のある人間が沈んでいるとあれほど心をざわつかせるとは思わなかった。
「女性へのプレゼントでありがちなのはハンドクリームとか何かのギフトセットとか……当然、消え物も喜ばれると思いますよ。あまり高額なものを贈ってもかえって気を遣わせてしまうので常識の範囲内で」
 なるほど。と電話越しに律儀にメモを取る音が聞こえた。しばらくしてペンの音が止むと、今度は深々としたため息が聞こえた。
「本当はクリアファイルをあげたいんだけどね。俺たちもずっと探してはいるんだけど……見つかる気がしなくて」
「結構な高値で売買されてましたね」
 ホークスがそれを確認したのはオークションサイトだった。開始と同時にみるみる値段が釣り上がり、少し停滞したかと思えばまた一気に値段が釣り上がる。あの値動きはサクラが混じっていそうだった。はなから金目当ての迷惑行為。あの日、トガヒミコがそういう奴らこそどうにかしてほしいと言っていたのが今更耳に痛かった。
「どうにかできればいいんだけど……そういうわけにもいかないんだよね」
「……」
「ま、そっちも探してみるよ。この世にある以上手に入らないことはないだろうし。こんな時間に電話してごめんねー。おやすみ」
 プツッという無機質な音とともに通話が切れて、ホークスは糸が切れたように再びベッドに突っ伏した。
「……どーにかならないこともないんですけどねー……」
 脱力したまま、意味もなくホーム画面をスワイプしていた親指が連絡先のアプリを起動して、一つの名前の上で止まった。いつ連絡先を交換したのかすら覚えていないが、彼のインターンの最中に出会った時だろう。
 連絡先を交換したということはいつか何かの時に必要になるかも、と思ったのだろうけれど、さて。彷徨い続ける指は『デク』の二文字の上でぴたりと止まる。
「……やーめた」
 ホークスはベッドから起き上がり、シャワールームへと向かった。いい加減、汗を流したかったのだ。

 クリスマス・イブには雪が降った。数十年ぶりのホワイトクリスマスに人々は浮かれていて街にはいつも以上の人出があった。
(ま、俺には関係ない話やけど……)
 輝く街を見下ろしてヒーロースーツを口元まで引き上げた。すっかり日は落ちて気温はますます冷え込んでいる。下では雪をありがたがっているのかもしれないけれど、空中では悪魔だ。ゴーグルに耳当てという最強装備であるとはいえ、少し露出した肌に氷の粒がぶつかって痛い。
 ようやく見えてきた山荘に降り立って、凍りついた髪を適当に整えて談話室の扉を蹴り開ける。
「こんばんは〜。どーも、今日は寒いっすね〜。暖房の温度変えてもいいですか。あっ、これ、差し入れです」
 赤い羽根がチキンの入った透明のビニール袋を運ぶ。
「おっ、KFCじゃん。混んでなかった?」
「その辺はヒーロー特権で」
「うわー、現代の貴族だ」
 なんて話をしながらホークスは横目でトガヒミコの様子を見ていた。彼女はソファーで横になって規則正しい吐息を立てていた。寝るにはまだ早い時間だが、この時間から寝ていたら夜に寝れなくなりそうだ。
「今日はずっと寝てるんだよね。疲れてるのかと思ってそっとしてるんだけど……」
 コンプレスは小声で囁いて壁にかかった時計を見上げた。おそらくは同じことを危惧しているのだろう。サンタクロースの相場と言ったら枕元のプレゼントだ。ソファーに置かれていたからといってプレゼントがもらえたという事実は何ら変わらないだろうと思うけれど、どうやらそういうことではないらしい。
「やっぱさ、目が覚めて枕元にプレゼントがあるっていうのが醍醐味なんだよ」
 その辺はこの唯一の経験者の知恵に頼るよりない。
「だったら早く起こすなりベッドに連れてくなりした方がいいのでは?」
「そこまで言うならホークスくんがやってよ~。寝起きのトガちゃんって不機嫌で怖いんだよ」
 何を思い出したのかコンプレスはぶるりと身震いした。まぁ、その様子は想像に難くない。今も安らかに寝息を立てているかと思いきや、お腹の上に置かれた手の一つはしっかりとナイフを握っている。その警戒心の高さは野生動物を思わせる。
「えー、俺も嫌われたくないです」なんて白々しく答えてみれば、意外な方向から声が返ってきた。
「いい大人が、こんなガキ相手に何を遠慮してンだ」
 振り向けば、呆れ顔の荼毘が立っていた。彼はつかつかと部屋の奥へ進む。荼毘が容赦なく手首を握ったことで、トガヒミコの瞳がわずかに開いて、ナイフを握り直したような気がした。
「退け、イカれ女」
「!」
 次の瞬間、ぱちりと薪が弾けるような音とも振動とも言えない兆候があって、青い炎が燃え上がったのと同時に鋼翼が飛び出していた。燃えながらもヴィランに突撃していく羽にはきっと大した威力はなかっただろうけど、荼毘の意識を向かせることはできた。
 鋭く睨み付ける青い瞳を肩をすくめながらやり過ごして、濡れたタオルでトガヒミコの手首を包んだ。元々本気ではなかったのだろう。火に触れた時間が一瞬だったからか、手首はわずかに赤くなっているだけだった。
「平気? 一応応急処置はするけど、あとでちゃんと冷やしてね」
「……べつに……このくらいなんともないです……」
 寝起きだからなのか、それとも起き抜けにこんな事件に巻き込まれたからか、はたまたミスター・コンプレスがいうように単に元気がないだけか、トガヒミコは重い声でポツポツと答えた。
「……荼毘くん。何するんですか。せっかく寝てたのに……」
「俺はその台詞をそこの鳥に言いたいくらいだけどな」
「ハハハッ、職業病ってヤツですよね~。反射ってコワー」
 こんなことで信用を失ってはたまったものではないが、まぁ、別におかしな行動ではないだろう。実際考える前に身体が動いたし、それを追求されてもどうしようもない。
 ソファーを追い出されたトガヒミコはカーペットの上に膝を抱えて座った。
「トガちゃん、大丈夫? チキン食べる? 夜ご飯食べてないでしょ」
「お腹空いてないんでいらないです」
「もしかして体調悪い? 今日もずっと寝てたし……」
「べつに。そういうわけじゃないです。エネルギー貯めてただけです。今日は寝ないんで。……だからお昼寝してたのに、荼毘くんのせいで台無しです」
 わずかに赤みが強くなった手首を見て、トガヒミコは顔をしかめた。彼女が手首に気をとられて、コンプレスの八面相に気がつかなかったのが幸いだった。
「またまたー、そんなこと言っちゃって。もしかしてサンタさんの正体を暴こうとしてる?」
「そんなもの来ないってこの間も言いましたよね。信じてないし、どーせこないから今日は寝ません。期待したって辛いだけです」
「いや……さ、ほら。えーっと……」
 ミスター・コンプレスは言葉に詰まりながらどうにかしてよと言わんばかりの瞳をホークスを見つめた。
「ホークスさんもグルなんですね」
「俺は通りすがりの一般人ですー。勝手に巻き込まないでほしいな」
「ふーん……どーでもいーです」
 その後は特に誰が話すこともなく、談話室は夜の静寂で満ちていた。一秒が遅くも早くも感じて、時計の針の動きすら一定じゃないような気がする。トガヒミコは湯気が立ち上るココアをゆっくり飲み下しながらどこか一点をじっと見つめ続けていた。
「……ところで、俺あんまりいい思い出ないんですけど、クリスマスってそんないいものなんスか?」
「え?」
「俺にとっては本当にただの土曜日ってだけなんで、世間がそこまでこのイベントに固執する理由もわかんないんですよ。職業柄、プレゼントはいっぱいもらって、それはありがたいし嬉しいなーと思うんですけど、そんなのクリスマスじゃなくたって貰ったら嬉しいじゃないですか? なんで、クリスマスって何が楽しいのかイマイチ理解しきれてなくって。俺の家もクリスマスなかったんで」
「クリスマスは……楽しいですよ。みんなで美味しいもの食べて……本当は早く寝ないと怒られるけど、夜更かししても怒られなくて……わくわくしながら寝るんですよ」
 ポツポツと一つ一つ思い出すように呟く彼女の声は、今はもう手に入らないものを一つずつすくい上げているようで、その表情はどことなく悲しげに見えた。
「あー、もう! そこまで分かってるなら早く寝て欲しいんだけどなぁー!」
 コンプレスの叫びに彼女は大きな目をパチパチと瞬かせた。涙で潤んだ瞳が蛍光灯の光を反射して星のように輝き始める。
「……ふうん……そういうことですかぁ」
 口を滑らせたコンプレスは慌てて弁明しようとしたがむしろ逆効果でしかない。トガヒミコはにんまりとした顔のまま、ぬるくなったココアを飲み干して軽やかに立ち上がった。 
「なんだかきゅーに眠たくなったので寝ます。おやすみなさい」
 彼女は鼻歌交じりに部屋を出て行く。残された者たちは顔を見合わせて困ったように笑うしかなかった。

 次の日の朝、郡牙山荘にはトガヒミコの歓喜に満ちた声が響いていた。廊下の窓から差し込む光が眩しい。窓の外を覗き込めば夜のうちに積もった雪はすっかり溶けて水たまりをつくっていた。この分なら交通にはなんら影響ないだろう。
 賑やかな空気に誘われるようにして、ホークスは開いた扉からひょいとトガヒミコの部屋を覗き込んだ。
 ベッドの上にはまだパジャマ姿で髪もセットしてない状態のトガヒミコがいて興奮気味にトゥワイスとコンプレスに話しかけていた。その腕の中にはプレゼントと言われて想像するような十字のリボンで結ばれたカラフルな小箱。
「やっぱりいい子のところにはちゃーんとサンタさんがくるんだって。で、何もらったの? 早く開けてみてよ、そんなにいっぱいもらっちゃってー。今までの分がまとめてきたのかなぁ」
「よかったなぁ、トガちゃん! 最悪だな!」
「……よかったな」
 コンプレスは白々しく、分倍河原は素直に、無理やり連れてこられたであろうスピナーは女の子の部屋にドギマギしているのか、どこかきまりが悪そうだった。
 促されて彼女はキラキラと輝く瞳でリボンを解いていく。中から出てきた輝かんばかりのコスメや諸々のプレゼントを見てみるみるうちに顔が緩んでいく。それは凶悪なヴィランというよりはただの女の子でしかなかった。
 テンポよくプレゼントを取り出していたトガヒミコの手がぴたりと止まり、サンタたちは首を傾げた。
「……出久くん……?」
「えっ!? ちょ、ちょっと俺にもみせて!」
 傷一つつけないようにトガヒミコは細心の注意を払いながらプレゼント箱からそれを取り出した。そこにあったのは先日世間を多いに賑わせた緑谷出久のクリアファイルだった。しかも、クリアファイルには少し不格好なサインまで添えられている。
「出久くん……出久くんだ! うれしい! 見てください! しかもサインまでついてます! すごい! うれしい!」
「これってトガちゃんがずっと欲しがってたヤツだろ!? スゲーな!」
 文字通りベッドの上で跳びまわるせいでベッドのスプリングがギシギシと賑やかな音を立てる。
「どこで見つけてくれたんです!? どこにも売ってなかったのに! 諦めてたのに!」
「……それは俺も聞きたいくらいなんだけど……」
 どうやって入手困難なクリアファイルを手に入れたのか。当然の疑問だが、何も難しいことはない。本人に直接連絡を取って予備を一枚もらっただけの話だ。
 ヴィラン連合との繋がりを公にするわけにはいかなかったので、知り合いのファンの子がどうしても欲しがっている程度のふわっとした話しかできなかったけれど、サービス精神旺盛なヒヨッコは快く応じてくれるどころかサインまで書いてくれた。
 それを昨日の夜にこっそりプレゼント箱に忍ばせておいたわけだ。
「サンタさんからのプレゼントなんで俺は何も知らないですよ」
 ホークスはわざとらしい笑顔を浮かべ、白々しく言った。
 プレゼントの出どころを話すなんてそれこそ興ざめもいいところだ。

おまけ

 そのあとはサンタさんに手紙の返信を書くからといって部屋から追い出され、朝の賑やかな一幕はひとまず幕をおろした。
 廊下に追い出されたコンプレスは「あ」と白々しく声をあげてスピナーを呼び止めた。
「ちなみにスピナーくんにも届いてたよ。プレゼント、はい。これ。どーぞ」
 ビー玉から飛び出すように出てきたのは新作ゲームソフト十本セットだった。
「それからホークスくんにもあります」
「え。俺はもういい大人なんですケド」
「大人でもいい子には届くんじゃない? それか、ホークスくんも子供の頃もらってなかったとか言ってたし、それが遅れてきたのかも。はい、どーぞ」
 半ば押しつけるように握らされた小箱は見た目の割にずっしりとした重さをしていた。箱の表面にはロレックスの文字。
「サンタさんはね、こないだのビルボード見てて思ったらしいよ。ホークスくん、お堅いお仕事の時につける時計とか持ってないでしょ? こういうのは一個あると便利だからさ」
「……あー……アリガトウゴザイマス……?」
 無職の集まりのくせにどこからそんな金が生まれてくるのやら。吸収された異能解放軍の資金は間違いなく着服しているだろうが、それにしたって計画性ってものがなさすぎないか?
 喜びよりも戸惑いが胸を満たしてなんとも足元が落ち着かない気持ちだ。
「どーいたしまして――っていっても、俺は渡しただけなんだけどね! ホークスくんも、忙しいのにいろいろありがとうね」