【LCB】親指に理不尽に詰められたーい。新人ソルダートちゃんの災難な一日。

 交代の時間だ。
 隣で寝ている仲間を起こさないように息を殺してベッドから這い出た。電気をつけなくとも、決まった場所に制服を置いてあるので取り違えることも見失うこともない。出来ることなら、大きくあくびをして、まだベッドに潜っていたいけれど……そんなことをしたらどうなるか分かったものじゃない。
 ワインレッドのジャケットに腕を通して髪をひっつめにする。信じられないことだが、この間、髪が一本、カポの歩く道に落ちたから。という理由でどこかへ連れて行かれた同僚がいるから無駄に力が入ってしまう。力が入るとそれをあざ笑うみたいに髪型が崩れるのが鬱陶しい。無香料のワックスを髪に塗り込んでいく。
 少しだけ自由にしていたころのファッションが心によぎるけれど……ここでは個性なんて必要ない。

 親指に属してから3日が経った。あまりガチガチの上下関係のある場所で生きてこなかったから、きっとすぐに殺されると思ったけれど……案外、そんなことはなかった。というのも、会う人会う人同じ階級の人ばかりだったからだ。
 同じ階級ならば無礼だなんだと言われることもない。上位の方といえば、一度だけ、遠巻きにカポプリモを見つけただけだ。あとは、この建物を管理している人――ソルダートクァルトの方がいるけれど、基本的に顔を合わせることはなかった。それ以外はみんな私と同じ、ソルダートプリモだ。
「お疲れさまです。交代します。何か異常はありましたか?」
「あー……、お疲れ……やっとか……もう、本当に眠すぎて倒れそうだよ」
「……」
「そんな警戒しなくても大丈夫だって。クァルトさんはこの時間部屋に引きこもってるし、たまには気緩めないといざというとき……な」
「そ、そう……ですかね」
「そうだよぉ。まぁ、いいや。本当にヘトヘトなんだ……ちなみに何も異常なしだよ。なんでこんなことやらせるんだか分かんないな。クァルトさんも何してるんだろうな~」
「……たしかに……何をしているんでしょうね」
「はぁー、もっと、バチバチした環境だと思ってたのにさぁー。これなら普通に裏路地の方が厳しい環境だったよ」
 たしかに、今のところやっているのはこの見張りだけだ。私は最近入ったばっかりだから知らないけど、彼なんかはもう二週間も同じことをしているという。
「それじゃ、また朝礼で」
「はい」
 一度も使ったことがない長い銃を構えて凍える指の痛みに耐える。吐き出す息が白く凍り付くような寒い日だった。

「伝達事項ですが、本日カポがお戻りになられます。ソルダートプリモ以下の階級の方は各自親指規範を確認の上、準備を……」
「その必要はあらへんで~!」
 背後の扉が豪快に開かれる。中央には親指の赤いコートをまとったガタイのいい人がいて、その後ろにもずらりと人がいるようだった。ピリピリと肌の表面で細胞がはじけるような威圧感があった。皆反射的に音のした方を見たけれど、唯一壇上の彼女だけが深々と頭を下げていた。それを見て、プリモたちもバラバラと頭を下げていく。紹介があったわけではないけれど、一目して、肌がピリピリとしびれるような感覚があった。
「そもそも、入ってから時間はたんまりあったやろうし。時間があろうがなかろうが、読まないヤツは読まんやろ? 頭で覚えない連中は身体に教えたほうが覚えがいいわ。そういうもんやろ?」
 革靴が床を叩く。じわじわと音が近づいてきて、先頭の男が目の前を通り過ぎる。綺麗に磨かれた革靴と、重そうなコートの裾くらいしか見えなかった。けれど、なんか息がつまるような気がした。呼吸したら、殺されそうで、一応目は通したけれど、あんな細かい規律全部頭に入っているわけじゃないから。それからほんのりと煙草の重い香りがした。
「そもそも、外が寒くてしゃーないわ。弾も撃ちきったし、暇潰しもできんやろから」
 まるで軍隊みたいだと思った。その理由はすぐに分かったけれど、足音が一つも乱れないからだろう。皆、役割が決まっているみたいにはっきりとしている。
 顔を伏せながら、控えめに目線をあげて、状況を確認する。そうしているのは私だけではないようだった。
「うーん。高見から見下ろされんのは腹立つし、詰めてやろうかと思ったけど、壇上におっても俺っちの方がでかいんかいな……まぁええわ。……ほんで? いつまで上座に居座るつもりなん」
「! ……無礼でした。申し訳ございません」
「くどくどいうつもりはあらへんから、後でちゃんと反省しぃ」
「はい。寛大な措置をいただきありがとうございます」
 彼女が壇上を降りるとその代わりに男が壇上にあがる。
「それにしたって、留守の間は全部入れていいとはいったけどなぁ……にしても多いなぁ。びっくりしたわ。どっか別の巣に帰ってきたのかと思ったで。寝床と武器は足りとるんかいな。そんくらいは与えてやらんといかんで~。ま-、弾丸はいらんかもしらんけど。どーせ撃つ前に死んでいくし……いいことやわ。壁はいくらあっても足りないもんやし」
「あんなもん上納金がいくらあっても足らんわ。……ほんで、これって、何するんやっけ。あかんなぁ、なん
ぼやってもちぃっとも覚えられんわ。まー、とにかく自己紹介やろうな?」
 男は葉巻をくわえて息を大きく吸い込んだ。パチパチと火が燃える音がする。そしてはっと気がついた。いつの間にか小さなざわめきすらなくなっていた。
「親指、カポ。レイホン」
 彼は高らかに宣言する。ピリピリと空気が震える。なんか、あれだ。どこかのつまらないライブを聴きに行った火を思い出した。どれだけ興味がなくても、心よりも体が勝手に反応して、心臓が勝手に飛び跳ね回るような感覚。
「別に名前は覚えんでもええで。どぉせ、俺っちの名前を呼べるほど偉くなる前にくたばるやろうからなぁ」
 壇上で笑ってはいたけれど、それは決して冗談でいっているようには聞こえなかった。そんな恐ろしいことをしたらどうなるかなんてわかりきっている。
「ほんで……」
 カラン。と、ホールに音が響いた。床には銃身が落ちていた。当の本人はそんなことにも気がついていないようで、レイホンを見つめたまま両手をガタガタと震わせていた。
「挿翅虎……!? そん、なの、聞いてない……!! 私……、あっ」
 ようやく自分に降り注ぐ幹部たちの鋭い目を見つけたのか彼女の表情がみるみるうちに青ざめていく。助けを求めるように四方八方に動く目をどうにかしてあげたくて、反射的に一度も使ったことがない銃身を握りしめたのは自分だけではなかった。だって、幹部たちの手を煩わせたらもっと酷い目に遭わされるだろうから。それならいっそ、私たちでどうにかしてあげた方がいい。
 けれど……少しの躊躇い。それがやっぱり、歴の違いなんだろう。次の瞬間、ソルダートのクァルトが彼女の前に躍り出た。彼女は冷め切った瞳のまま、未だにうろたえている彼女の口に指を突っ込んでその舌を掴み、鋭いナイフが舌を切り落とす。
「!」
 クァルトさんはまるで、汚いものでも見るみたいに切り落とした舌を床に投げ捨てる。切断面からは血がドバドバと溢れてくる。切られた彼女は、一瞬反射的に引きつった悲鳴をあげたけれど、唇をきつくかみしめるこどで更なる失態は抑えた。
 クァルトは血と唾液で汚れた手袋を床に投げ捨てる。
「大変失礼いたしました。ホールでは火器の使用が禁止されているため処理が遅くなりました。必要であれば、これについても罰を受けたいと思います」
「別にいらんわ。けど……相変わらず甘ちゃんやなぁ……喉も潰しといた方が静かになるわ。随分舐められとるし、いよいよぶっ壊れてどーでもよくなったんか思うたわ。下積みが長いと卑屈になってしゃーないからなぁ。ま、そんな目ぇギラギラさせとるうちは大丈夫やろうし、少し安心したわ。なんか、俺いったんやっけ?」
「お目通りもなしに私が勝手な判断で傷をつけるわけにはいきませんでしたので……」
「そんなん。いてまえばよかったやろ。そんなんやから、いつまでたっても昇進せんのちゃう? ま、いいわ。やっぱ血ぃある方が引き締まるなぁ! いいことやわ。ほら、ついでにおまえらも自己紹介しぃや。俺っちばっかり話してたってつまらんやろ」
 一通りの紹介が済むと、レイホンは葉巻を大きく吸い込んだ。
「まー、余所の組織を比較に出すもんやあらへんけど、俺っちからしてみりゃぁ、中指だの人差し指だの……あいつらの方がよっーぽど理不尽やわ。中指はいくつ条項があんだか分からんし、人差し指はキチガイの集まりだからなぁ……そこんとこ、うちらはよぉクリアにやっとるつもりなんやけど……どーも人気ないんよなぁ……まぁ、ええわ。今更細かいことを説明する必要もないわな」
 いつの間にかカポの手には手帳が握られていた。そこに書いてある文字を読んで彼は怪訝な顔をする。
「ほんでぇ……なんやっけ。激励……? なんやそれ。何の意味があるんかいな……えー、なんて言われたか知らんけど。ソルダートなんてもんはなぁ、使い捨ての駒にすらならん。数だけが取り柄なんやから、さっさと修羅場くぐってセンスあるやつだけ生き残って欲しいわ。これまで外で生きてきたんなら、こん中にはもしかすると自分がまだ人間だと思ってる連中がぎょうさんおるかもしれんけどなぁ。正直そんなもんやないよ。豚とか草とかそんなもんでもないわ。そこにいるだけで邪魔。生きてるだけでうちの資源を食い潰し取るわけやし……さっさと人減らして、戦い方覚えて、使い勝手のいい駒になれるようせいぜい気張りぃ~……こんなもんでええんかな」
「はぁー、むしろ激励なんておまえらにしてやりたいくらいやけどなぁ。いつになったら昇進するん? さっさと成果あげてもらわんと、立つ瀬がないってもんやろ……俺っちの教え方が悪いんかなぁ~? なぁ? いつまでも、そーやってくすぶってたらあかんやろ」
 カポの指が彼女の胸に沈む。
「やっぱ邪魔よなぁ。今度切りおとそか? 案外高く売れるんちゃう?」
 クァルトさんは慣れているのか何の反応も示さなかった。
「……ハッ、つまらんのう。うちの女は愛想がないわ……あー、だから、なんやったっけ? そ、みんな全力尽くしてがんばろうなって話。それ以外いうことないわ。以上! 解散! 俺っちは腹減ったから帰んで。こーみえていつまでもお人形遊びしてられるほど暇やないんやて……大体、俺っちが話すだけやってのに何の意味があるんだか……んじゃ、お疲れさん~。次会うときには100分の1くらいにしといてや。そーでもせんと、名前を覚える気にもならんやろ」
 ひらひらと手を振りながらレイホンが壇上を降りた。他のカポたちが一斉に頭を下げたのをみて、少し遅れて新人のソルダートたちが頭を深く下げる。重そうな革靴がコツコツと音を立てながら遠ざかっていく。
 なんだか異様な場所だった。だけど、やっぱり思ったよりは拍子抜けなのかも。小さな事故が一つあったはあったけれど――彼女は痛みに肩をふるわせながらも頭を下げている。というか、二度とあげる気にもならないんじゃないだろうか?
 あれを見て警戒しないわけじゃない。ただ、心の中ではさっきから抗いがたい好奇心が渦巻いていた。
 こらえきれなくて、足音が十分小さくなってからチラリと目線をあげた。
「ひっ」
 周囲の人たちはこれっぽっちもそんな気は起こさなかったようで、自分の前でいくつもの頭が下がっていた。別に顔を見ようなんて思ったわけじゃなかった。ただ、姿だけでも一目、気になっただけだったのに。そんな好奇心を、捕らえて、二度と逆らえないようにしてやろうという、好戦的な虎の目ににらみつけられた。鋭い眼光が身体を貫くような衝撃があって、慌てて自分の足下に目をやる。
「おっ! はは~、毎回こりもせずに振り返ってた甲斐があるっちゅーもんやなぁ~?」
 心臓がバクバクと大きく音を立てる。汗がどっと全身から吹き出して、震える身体を押さえるので精一杯だった。足音が近づいてくる。何もものともしないような、その足音がまるで自分を追い詰めているみたい。虎を前にしたウサギのような気持ち。
「そりゃ、あかんやろ。きっちり言われとったやろうし、言われんでも少し脳がありゃ理解できる話やわ」
 どうか、どうかどうか。両目をきつく結んで嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。この無個性なソルダートたちの中に紛れて、姿を消せるように。けれど、威圧的な足音はみるみるうちに自分にまっすぐと近づいてくる。頭ばかりが勝手に動いて、言葉にならない謝罪の言葉で頭の中が満ちる。いや、いっそ、酷い目に遭う前に、いっそ死んでしまった方が楽になれるのかもしれない。
 足音が心臓に直接響く。声が近づくたびに、肌がピリピリと痛んで仕方がない
 ついに足音が自分の目の前で止まった。
「震えててもわからんわ」
 それでも黙り込んでいると、頭上で深いため息が聞こえた。
「人が質問してんのやから、顔あげてさっさと答えんかい」
 地を這うような低音とともに前髪をわしづかみにされて顔を強引にあげられる。ギラギラと、まるで太陽みたいな瞳が自分を射止めて離さない。一瞬、燃えているのかとすら思った。圧倒的な自信を感じる力強い瞳。掘りが深いはっきりした顔立ちで、褐色の肌に邪悪に弧を描いた口元。真っ白な歯の八重歯は今すぐにでも頸動脈を噛みちぎれるほど鋭い。
「……。聞いとる? それとも口があらへんのかいな」
「あっ……も、申し訳……ありませんでした」
 自分の口から出てきた声も聞き取りづらくて、頭がまるで働かない。
 よく分からないけれど、多分、過度の緊張と恐怖で頭がおかしくなったのだと思うけれど、心臓が飛び跳ね回っておかしくなりそうだった。まるで光っているみたいにみえる。呼吸が浅くなって頭すら動かない。少し、遅れて、酩酊しそうなほど濃い甘い香りが身体にまとわりついた。葉巻の匂いと入り交じって、クラクラする。「さんざ迷ってそれかいな」
 深いため息とともに手を離されて固く冷たい地面に激突した。尻餅をついて、カポを見上げるとその存在がさらに強大に思えた。表情は影になり、ますます冷たく思える。もはやそこには笑みはなかった。みちみちで並んでいたはずなのに、カポの動きやすさを考慮してみんな距離を取っている。
「ほんっま……腹立つくらいセンスないなぁ……謝罪なんて聞いてへんわ。どう落とし前つけるんか聞いとんねん」
「ぐっ……! ゲホッ……! ゴホッ……!」
 重たい革靴が腹部を踏みつける。体内で聞いたこともない嫌な音が響いた。痛みは感じないけれど、頭からスッと血の気がひいていって、腹部に血が集まるのを感じた。耳鳴りがして、気が遠くなる。けど、気合いで持ちこたえる。
「つまらんことしか言わんからその口もいらんか。いらんもんは初めからないほうがいいっちゅーもんやろ? なぁ? そう思わへん?」
 先ほど自分の身体を文字通り踏み潰した凶器が今度は喉元に当てられる。そこはなんだか、さっきよりも本能的な恐怖を感じた。まぁ、でも、抵抗するなんてできるはずがなかった。
 自分の血で濡れた靴が喉を軽く押さえつける。だって、私にできることはただ頷くことだけだから。
 どうやらその判断は間違ってなかったみたいで、頭上から満足げな笑い声が響く。よく分からないけど、それはうれしい。
「やっぱ身体に教えこむのが一番手っ取り早いっちゅーもんやな。ちぃっと頭揺れるやろけど、しゃんときばりぃ」
 再び嫌な音が体内で響いた。体内と言うより、耳が近いせいか耳でも音を捕らえたような気がして気分が悪くなった。アドレナリンで痛みはごまかされるけれど、喉の奥で血の味がする。
「えらいえらい」
 幻覚か幻聴かそんな声が聞こえた。優しさなんてこれっぽっちも含まれていなかったけれど、それでも心臓が大きく拍動する。こんなになっても生きようとしているし、褒められると無性に嬉しい。いや、むしろこんな状態だからかもしれない。全ての神経が過敏になって、世界がより鮮明に見えるような気がする。
「まー、正直なところなぁ。こういうときは近くのヤツが手伝ってやらんとあかんわ。やらかした本人っちゅーのはどうやったって自責の念っちゅうやつやろ?」
 耳鳴りは酷いけれど、カポのお言葉だけは鮮明に聞き取れてよかった。低い声は直接脳に染み入るように聞こえる。耳鳴りが外の音をかき消して、まるで二人きりみたいだ。
 そうでなくたって、頭が足りない私の代わりに償わせてくれているのだから、これが優しさじゃなくてなんなんだろう。それも、こんな、星よりも位の高い方が私なんかのために、ここまでしてくださっているという事実だけで、パチパチと頭の中で火花がはじけた。
「入ったばかりやしそんなこと期待もしてないんやけどな。だから特別に俺っちが助けてやっとるわけやし」
 できることなら一生こうしていたいような気もするのに。それなのに、血を流しすぎたのかだんだんと視界がかすみ始めた。眼鏡をつけていても、目の前が白くかすんでいく。うっとりとして、身体がずんと重たくて、このまま眠ってしまいたいという甘い誘惑に駆られた。けど、カポの目がそんなこと許さなかった。
 腕を支柱にして、なんとか上体を起こす。立ち上がると、血流が足りてないのがよくわかって、目の前がぐらぐらと揺れた。
「ほら、しゃんとせい。甘えてる場合ちゃうで。それとも俺っちに介抱してほしいんか? ん?」
 私の顔にかかった髪を大きな手がかきあげて視界が明るくなる。悪戯っぽく顔をのぞき込まれて、慌てて何かを答えたけれど、自分の口からは変な音しか出なかった。
 それを見て、カポは涙が出るほどに楽しそうに笑った。
「やっぱソルダートは全員喉を潰すべきやなぁ~、そっちの方が何倍も可愛げがあるわ……ん。楽しみ過ぎたな。そんじゃ、サクッと済ませて終わろか」
 葉巻を投げ捨てて、カポは私の下顎をわしづかみにして強引に顔を上げさせた。身長差からかかとが地面を離れてつま先立ちの上体になる。はっとして、反射的に目をきつくつむったけれど「目ぇ閉じたらくりぬけへんやん」と呆れ声で言われて恐る恐る目を開けた。
「そんな不安そうな顔せんでもええわ。むしろかえって目ぇ良くなんで。いいことづくしやろ」
 カポは笑いながら手袋の親指の部分を噛んで外した。鋭い牙がきらりと光る。眼鏡を外すとカポ以外の背景がぼやけてまるでポートレートみたいだなとぼんやりと思った。
「やから――動くなよ」
 目の前に指が迫る。反射的に身を引きたくなるけれど、カポの言葉がそれを阻止していた。
 ゴツゴツした指が人生で一度も触れられたことのない場所に侵入してきてじらすように動き回る。別にいたらに動き回っているわけではないんだろう。指が動くたびにぶちぶちと血管だか神経だか筋肉だかがはじける感触があった。生理的な涙と血液が混ざり合って目からボタボタと液体がこぼれる。
「あー、んー、この辺やっけ? 左目って抜きにくいんよなぁ~」
 ブチッと大きな衝撃があって目の前が真っ暗になった。喉から悲鳴とも呼べないくぐもった声が響いた。それからずるりと何かが引きずり出される感覚があった。べちょっとした湿り気のある音とともに床に落ちたそれは、たぶん私の目玉だったらしい。血まみれだし、表面しか見たことがないからまるで感慨もない。ただ、まるで、無くなった部位を惜しむかのように目に血が集まって、何も無くなったくぼみに血がたまっていくのが気持ち悪い。
 続けて右目に指が入れられる。あっ、と思って反射的にカポを見上げた。
「うぇ、動かれると気色悪いわ」
 涙で潤んでいるからか、キラキラと光り輝く世界でカポの姿を目に焼き付ける。もしかしたら、不敬かもしれないけれど……カポは何も言わなかった。数秒視線が重なる。ちょっとしたサービスだったのかもしれない。 満足して目を伏せると、私の体液で濡れた指は滑りがいいのもあって、こっちはほんの五秒たらずで地面に吐き出された。
 視界は暗闇が満たしていた。それでも、頭の中では今もパチパチと火花が散っているような気がした。
「まーこんなもんやろ。ヤニも切れたし俺っちは帰んで~。この子は適当に介抱したりぃ。それから……さっきからそーやってチラチラ様子伺ってる阿呆どももまとめて血見せた方がいいわ。よろしく頼んだで! ほな、お疲れさん!」
 視界も言葉も行動も制限されていたけれど、最後の力を振り絞ってポケットからハンカチを取り出した。
 どうしたって、カポのお手を汚してしまった罪悪感から逃れられそうになかったから。
 声も出せない以上気づいてもらえるかは運だったけれど、日頃の行いは悪くなかったらしい。
「ん? なんや、気ぃきくなぁ。さっきからずっと思っててんけど……そんな察しはいいのに好奇心は止められなかったん? ほんま、阿呆やなぁ。いらん傷増やすだけやで。……あ、そうそう。新しい目ぇ用意できたら見せにきいや。似合ってなかったらもう一回やってやるさかい! そんじゃ、精進せぇよ!」
 足音が遠ざかっていく。目は光すらもとらえられなくなり、真っ暗な暗闇の中。まとわりついた匂いだけが最後まで私を抱きしめていた。

おまけ(ハーフアップレイホン概念に狂ってる人。あれは、どうして、誰が、う、うう)

「お父さん、髪いじってもいいですか?」
「……まぁ、ええよ。痛くせんでな~」
「ありがとうございます!」
 少女はレイホンの背後に回り込み耳の上で束ねられたハーフアップを丁寧に解きほどいた。それから、自分がいつも母にしてもらっているようにクシでその髪を梳かしていく。元々の髪質もあるけれど、本人が気にしたこともないのもあって、ゴワゴワしたさわり心地だろうに、少女はまるでお気に入りの人形を丁寧に手入れするみたいに真剣な表情だった。
「……男の髪なんざいじって何が楽しいねん」
「えっと、なんか、ぴょんぴょんしててかわいいから」
「毎日適当な石けんで洗えば誰だってこうなるわ。ほんで、どういう髪型にしてくれるん?」
「えっとね、三つ編み。この間教えてもらったんです」
「そらいいなぁ~」
「あと、あとで、ピンもあげます。お母さんに買ってもらったんです」
 小さな手が自分の髪をなで回すのを感じながらレイホンは呆れて目を閉じた。自分の組織の人間ならば、一睨みするまでもなく、こんな大胆な提案はしてこないだろう。別に楽しくもなんともないのだけど、変に断って泣きじゃくられるのも面倒だったから。
(早く終わってくれんかな~……)
 少女の輝く目とは対照的に、レイホンはどこか遠くを見つめていた。