舐められとる。そう思うと普段から押し殺すことがくせになっている熱い感情がふつふつと込み上げて思考が丸ごと書き換えられるような気がした。
公安に拾われてからというもの公安直属のヒーロー育成のためにありとあらゆる個性強化訓練を受けてきた。そして先日から始まったのが実地訓練だ。今までの訓練施設ではなく外へ出ての実践。とはいえ仮免もない一般人が表だって個性を使用するのは違法行為なので、基本的に一目を盗んで……だが今日だけは違っていた。
「どげなつもりと?」
臙脂色の翼を空中に舞わせて全方位から男を取り囲む。想像以上に苛立っていたのか、口から吐き出された言葉はわずかに低く震えていた。
「ホークス……これは規則違反です。速やかにこれをしまいなさい」
公安職員は小さく息を吐いて慣れたように言う。しかし鋼翼がわずかにその緊張を察知した。
「俺の質問に答えるとが先ばい」
臙脂色の翼の一枚を首元に突きつける。この個性は存外簡単に人を傷つけられると教えてくれたのは他でもないこの職員だった。
「……何のことですか」
「もちろん、今日の事故の件です」
燃え上がるガソリンの臭いが今も鼻にこびりついているような気がした。
実地訓練の遠征のため、高速バスに乗っている最中に乗用車を巻き込んだ大規模な事故が起こった。衝突の衝撃は凄まじく、横転し火が上がった車内から乗客を速やかに脱出させた。
その後は帰還命令があって今に至る。夕方のニュースではあの事故が乗用車の居眠り運転が原因だと報道されていた。大規模な事故の割に負傷者がいなかった理由については特に言及がなかったので、箝口令が敷かれているのだろう。それはいい。
納得がいかないのは一般人を巻き込んだことだ。
公安職員は溜息をついて「ああ……」と納得がいかない顔をした。
「それはこちらの台詞ですね。あの程度のボヤで随分背中が軽くなったのでは?」
背中の羽根は半分ほどが燃え落ちて枚数がずいぶん減っていた。罰が悪くて翼を小さく折りたたむ。たしかに炎に弱いとはいえ数を減らしすぎたのは事実だ。
「あなたは翼がなければ非力な一般人と大差ないとお忘れなく。自身の能力を過信しすぎないことです」
「……はい」
「それからあれは事故でした。よって今日の訓練は中止です。療養に専念なさい。以上」
それから何度か担当が変わったが大した感慨もなかった。もともと名前も顔も覚えていないような連中だ。どうやら、これまで従順ないい子だった俺が、突然反撃したことで上層部が危機感を抱いたらしい。飼っていたのが小鳥ではなく鷹だったことを今更思い出したのだ。
実にあの事故から二週間。すっかりニュースでも事故の話題を目にしなくなった頃、ようやく五人目の職員が扉を叩いた。
「あなたが大暴れしたせいで、担当が変わりました。目良です……何回か会ったことはありますよね」
公安内で何度かすれ違ったことはあったから首を縦に振る。しかし、前にみたときよりも隈が深くなって心なしかやつれているような気がした。印象的にはたらい回しにされた仕事を全て請け負っている人という感じだ。
俺が観察しているのを見て、彼は深く溜息をついて備え付けのソファーに腰を下ろした。挨拶だけかと思いきや思いの外長居する構えだ。
「ここをセーフルームにします……サボりとも言いますが」
「目良さん。この部屋監視カメラついてます」
ちらりと部屋の隅に目線を向ける。目良さんも同じ方向を見上げて深く溜息をついた。
「ホークスくん。この部屋に椅子はありますか?」
監視カメラの下に椅子を引っ張ると、目良さんは「よいしょ」と声を上げて椅子の上に立った。
「こういうのはね、電源を落とせばいいんですよ」
「……いいんですか?」
「ダメなことがあります? 私が担当なんですからいいんです。ついでに、こうです」
鈍い音と共にカメラが床に落ちる。配線があらわになったカメラは新調しないことには使い物にならないだろう。わずかに胸が空く思いがしたが、気を引き締めた。どういう風の吹き回しなのかは分からないが、公安職員であることに変わりはない。
目良さんは何事もなかったかのように椅子を元の位置に戻してソファーに身体を沈める。
「ていうかずっと監視されていてよく嫌にならないですね。プライベートとか要らないんですか?」
「別に」
「そうですかぁ。図太いのはいい資質ですねぇ」
それから何ラリーか、核心の周りだけを延々となぞるような世間話が続き、ついに我慢の限界に達した。
「何を探ろうとしているんですか? この間、職員に鋼翼を突きつけたことですか?」
「ああ、そうです」
目良さんははっきりと答えた。
「賢い子は話が早くて助かりますね。今話して見た感じ、思春期にありがちなヴィランの思想に陶酔しているって感じもないんですけどね……なんでこの間はあんなことしたんです?」
口をつぐんだのは、この公安という組織についてほとほと信用がなくて、どうせ要望は通らないと諦めきっているからだった。むしろ安易な自己開示のせいで状況が悪化しないとも限らない。
「おかげで上層部はぴりついてて……仕事が増えるのなんの。従順な子だと評価されてたんですけどねぇ……」
「……今更、俺のこと捨てれんよ。サンクコスト効果や」
目良さんは「おや」と言いたげな顔でわずかに俺の表情を覗いた。そんな言葉をどこで覚えたのだろう、と不思議に思っていそうだが、公安にいれば嫌でも経済用語に詳しくなる。
「そうなんですよねぇ。ヒーローの育成には金も時間もかかりますから、今あるものをどうにか型に押し込めようっていう判断らしいです。てなわけで、これ解いてください」
差し出されたのは五枚綴りの紙の束だった。軽く目を通せば、それがカウンセリングシートのようなものであることがわかった。おそばせながら警戒代わりに鋼翼を一枚、彼の近くに落とした。
「……こんなんで何が分かるんですか?」
「私に聞かれても知らないです。心理療法士の先生が権威をかけて作ったらしいですよ。君の精神分析用です」
「ふうん……解くっていうのは?」
普通ならば記入するとか書くとかと言いそうなものである。解くと言われると、何か明確な答えがあるように聞こえる。問いかけると、目良さんは隈の残る目をわずかに見開いた。驚いたのもつかの間「そういえば、賢いんでした……」と一言つぶやいて頭を抱えた。しばらく悩みあぐねいて、やがて寝不足の脳で悩むのも馬鹿らしく彼は事実をそのまま伝えた。
「あー……だから……好きなキャラ付けで解いてもらって構わないって意味です。あまりに都合の悪い結果だと人格矯正されるかもしれないんで、その辺は塩梅で」
うろたえて、思わず言葉に詰まった。この発言自体が何かのテストなのではないかと警戒を深めるが、目の前の男に不審な素振りはなかった。鋼翼で感じ取った脈拍も視線の動きもなんら怪しいところはない。
疑りの目線を感じたようだが、目良は気にする素振りも見せず、呑気に欠伸していた。
「隠す必要もないし、探られるとボロがでそうなんで先に言っておきますけど……別に……私は何でもいいんですよね。これまでの職員がなんと言ったかは知りませんけど……組織への忠誠とか勤勉さとか……そういうのどうだっていいです」
相変わらず心拍は一定。バイタルの情報から嘘はなさそう。だが、なぜこの男が俺の担当になったのか、考えてもしょうがないことがぐるぐると巡る。
「っていうか最悪、逃げれるでしょ。あなた」
その言葉は今まで想像もしなかっただけに心の奥をブチ抜かれるような気持ちになった。
「ただでさえ便利な個性な上に何年も前から専門の訓練を受けて、しかも空が飛べるときた。プロヒーローだって個性によっては空はキツい。そんなわけで、あなたは公安に縛られているつもりかもしれませんが、実際はもうこっちがお願いしてここにいてもらう立場というか……うん……なんでまだここにいるんですか」
「えっ……いや……」
「わけが分からないです。いや、別に……あなたくらいの年頃の人間は全員理解不能の化け物だと思ってるんでいいんですけど……」
思いもよらぬ問いかけだったから回答を導きだすのに時間がかかった。
「逃げ出したいと思ったことはないです」
「たしかに大変だけど……辛いわけじゃないし……部屋もあってご飯も出てくるし。それにお母さんもそっちの方がいいだろうから、特に不満はないです」
「そうなんですか。だったら尚更なんで反抗を?」
どうしようか、と悩んでいると男が言葉を付け足した。
「オフレコなんで、文句はじゃんじゃんどうぞ」
初めて男のバイタルに嘘が見えて安心した。ということはこれまでの会話は全て本心だったのだろう。逆説的にこの男への信用が増して、素直に不満を述べることにした。だが文句だなんて今まで言ったこともなかったから伝え方は下手だった。
「……実地訓練」
ぽつりと呟いた言葉に目良はぴくりと眉を上げる。
「それがどうしたんですか? たしか戦績も悪くなかったはずでしょう。プロも顔負けの解決率ですよ」
「……そらそうやろ。一般人を巻き込むなんてどうかしちょる」
先日のことを思い出して、再びふつふつと怒りが湧き上がるのを感じた。
「……ああ。そういうこと」
目良さんが納得いったように頷いた。
「そうですねぇ、そりゃ気付きますよねぇ。毎回都合良く出先で事件が起こるわけないですもんねぇ。はい。あなたの想像どおり、ある程度、確率の高そうな場所に送り込んでいます。もちろん、危険性は低くプロヒーローの手を煩わせる必要もないくらいの事件に絞っていますが。で……その多くは一般人に関わらない者を選んでいます。そりゃそうでしょう。あなたの存在は秘匿ですし、仮免もないのに個性を行使するとか普通に違法行為です」
「だったらこの間のあれは何だったんです?」
「事故です。マジの方の」
「信じられん」
「でしょうね。私も仕組まれててもおかしくないと思います。……でも本当に事故っぽいんですよ。実際あの後、エンデヴァーが対応に当たったらしいです」
「エンデヴァーが?」
「はい。エンデヴァーが……それは一体どういう感情なんですか。思春期くん」
頭上から呆れた声が聞こえたが鋼翼で全身を覆ったところから出て行くつもりはなかった。顔に熱が集まって頭が沸騰しそうだ。エンデヴァー。俺のヒーロー。
ミスはなかったはずだ。怪我をした人は一人残らず運び出したし、現場も二次被害を抑えるためにある程度は整理しておいた。ごうごうと燃える炎だけはどうしようもなかったが、乗用車の破片は邪魔にならないように路肩に積み上げておいた。
それでも何か不手際があったらどうしようと思うと心配で恥ずかしくて仕方がなかった。せめて残してきた羽根が全部燃えていることを願った。前の担当にも言われたが、羽根を減らしすぎたのは反論のしようもないミスだった。
「な……なんか言っとった? 俺、ミスっとらんばいね?」
「ああ、その辺は大丈夫そうでしたよ。良かったですねぇ」
ほっとして胸をなで下ろすと同時に鋼翼の鎧を解いた。未だに心臓がバクバクと動いて止まらなかった。
「憧れのヒーローとタイアップできるなら、たとえあれが公安の仕込みだったとしても悪くない経験なんじゃないですか?」
「いや。隣に立つならきちんとヒーローになってからです。今の俺は……ヴィランと一緒やけん。そんな資格ないとよ」
「……はぁ。まぁ、これは必要なさそうですね。あとでシュレッダーに……」
手の中から奪われた紙を鋼翼で取り返す。
「それは書きます」
「……くれぐれもやりすぎないように」
机からペンを取り出してキャラ付けに従ってマークシートを埋めていく。昔からこの手の代物は嫌いだったが、今日は比較的楽しく思えた。ちなみにキャラ付けは正義も悪も特にこだわりはなく、とにかく早く家に帰って寝たい。みたいなそういう限界の人間をモデルにした。
「それにしても、あの事故がそんなに嫌でしたか……今回は事故にしても、いつか本当にやりかねないですよね。うちの組織は……まぁ、かといってどうしようもないことですが」
独り言のようにぼやく目良さんの言葉を聞きながら、やっぱり公安ってろくでもないなぁと再確認する。
「一つだけ解決策があります」
顔を上げた。そんな魔法のような方法があるのかと耳を疑ったが、やはり続きの言葉はもっと愚直で泥臭いものだった。
「もしまたそういうことが起きたなら……君が誰よりも早く助けてください。この間のように。それができるだけの力が君にはあります」
資格はないですが。と付け足され苦笑いを浮かべる。
「早く大人になってください。君にできることはそのくらいです」
「善処します」
などと使ったこともないような堅苦しい言葉で笑っていた鷹はすくすくと大きくなり、ちょっと目を離したすきに仮免を取って帰ってきた。あれから、懸念の通り何度か一般人を巻き込む羽目になったが、彼は一度も被害をだしたことはない。
おそらく、あと一年もしないうちに狭い巣を飛び出すだろう小鳥のことを思うと喜ばしいような寂しいようなそんな気持ちになる。
「ともあれ、これで人魚姫みたいなことはしないでよくなりました」
「人魚姫?」
「はい、王子様を助けておきながら名乗りもせずに去って行っちゃうでしょ」
「君ってそんなにロマンチックな人でしたっけ?」
「たとえ話じゃないですかぁ。別に名声が欲しいわけじゃないですけど……こそこそしなくていいのは嬉しいです」
素直な物言いに、この数年のうちに随分懐かれたなと感慨深くなる。決していい保護者だったとは言わないが、ホークスにとっては心地よい距離感だったのだろう。
冷蔵庫から白い箱を取り出して彼の目の前に下ろす。小さく首を傾げる姿は昔と何ら変わらない。
「ケーキです。合格祝いに買ってきました」
「ケーキってなんですか」
「……義務教育の重要性を痛感しますね」
「あ、いや……存在は知ってます! 存在は! そこまで馬鹿じゃないんで! でも、こういうときもケーキなんですか? 誕生日に食べるのは知ってるんですけど……」
この口ぶりだと実際に食べたことはないな。そういえば誕生日パーティーのようなことはしたことがない。
「……まぁ、いいんじゃないですか? お祝い事は全部ケーキでいいんですよ。そういうものです」
「……なるほど、心得ました。じゃあ目良さんの退職祝いにもケーキを用意しますね。三段のやつ!」
「年寄りの胃を破壊するつもりですか……君は……」
純粋な好意からの提案なのがさらにたちが悪い。退職するその日まで、体調には気をつけようと心に誓った。
了